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原作未読!


 『わたしを離さないで』(2010年、イギリス)

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 抑えた色調も手伝ってか、せつなさが通奏低音となって始終胸に鳴り響く映画だ。

 来るべきときに備えて肉体と精神を絶えず健康に保つため、ヘールシャムという名の施設――管理社会なるディストピア――に置かれた子どもたち。彼らが担うことになる役目、その詳細は早い段階で明らかにされるが、教えられた子どもたちは内容の意味をよく掴めないのか、あるいは慣らされているのか、それほど動転した様子はない。その反応に戸惑ってしまうのは、むしろ見ているこちら側である。ここで一つの可能性に気付くのだが、それをいま詳らかにするのは避けたいと思う。

 タイトルの『わたしを離さないで(Never let me go)』は、キャシーの級友であり初恋の少年トビーからプレゼントされたテープから流れてくる歌の一節に使われている。キャシーは、子どもが耳にするにはいささか情熱的な歌詞が流れるこのテープを、とても幸せそうな表情で、おそらくは夢想に耽りながら、目を閉じて、聴く。この映画で最も印象的なシーンの1つだが、現実は歌の歌詞のようにはいかず、トビーは同じ級友のルーシーと恋人となってしまう。

 大人になり施設を出ても恋人であり続ける2人を横目に、キャシーの閉鎖的な心情を表わすかのように、ヘッドフォンでかつての音楽に聴き浸る。そのときの表情はかつてのそれとは非なるものだ。

 キャシーは自分が抱いている本当の感情の裡をさらすような愚を犯さない。"never let me go"という歌詞は、そんな彼女の気持ちを代弁しているものだと自分は思っていたし、おそらくそうなのだろうけれども、見終わったあとではまた違うことを考えている。

 果たして、"わたしを離さないで"の"わたし"とは誰のことを指していたのだろう?あるいはこの歌の主体は"心"や"魂"に置き換えられることができるかもしれない。つまり感情の擬人化である。そうすることで、たとえ全人格を否定されるような驚天動地の真実に触れたとしても、「それでもこの心は私のものだ」という強い思いを支える一つの根拠になるのではないだろうか。

 過酷な運命と平凡な日常を享受しながらもつかんで離さないのは、ふたり一緒になりたいという、有史以来脈々と語り継がれてきた純然たる欲求。生の熱源を問う静かなる傑作だ。
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