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 主人公の佐和子(満島ひかり)は上京して5年目、5つ目の職場ではいかにも旧時代的な会社に勤め、嫌らしい上司と上滑りな世間話しかしない同僚に板ばさみにされ、夢も希望もなく何事も「まぁしょうがない」と言い訳をしながら毎日を過ごしている。そんななか、父親が病に倒れたのを期に、一人で勝手に人生設計したダメ彼氏と一緒に実家へ帰って父親のしじみ工場を継ぐことになる――というあらすじ。

 始まって1分で「これは良い映画だ」と直感できる映画があるが、この『川の底からこんにちは』はまさにそれだ。かび臭そうな病室のベッドに死んだ魚のような目をしながら横たわり、女医から腸内洗浄について説明を受ける佐和子。それを遮って「もう3回やりましたから」。しょっちゅう便が詰まっているようにどうやら人生もドン詰まりであるらしいことが、この冒頭の短いシーンですぐ分かる。

 冒頭のような、ゆるい笑いを誘う雰囲気とゆるい台詞、平凡ながらキャラ立ちした各登場人物、そして過激な社歌はもちろんのこと、この映画には好きだなと感じられるところがいくつもある。たとえば撮影だろう。

 この監督の作品は初めて見るのでこれが監督の常套手段かどうかは分からないものの、本作では佐和子と彼氏が会話(口ゲンカ含む)するシーンはしばしばフルショット(+固定カメラ)で撮られ、どちらかの表情がアップで映し出されることは皆無だ。これは2人を平等の立場に置きたいという監督の意志が働いているからに他ならない。つまり、なんか2人ともいろいろ言っているけど、2人ともダメ人間でしょ?同じ穴のムジナでしょ?ってことなのだが(だからといって諦観や軽蔑を表現しているわけではないだろう)、もはや立場的には明らかに上である佐和子が男に対してガンガン喚くラストシーンにおいても、しかしその表情を正面から捉えるのではなくやはり固定カメラのフルショットを貫いているのは、また同じ土俵に立てる余地がある=やり直せるという、可能性ある未来を提示したかったからかもしれない。

 また、この映画において自分が最も”急所”を突かれたのは、家族愛や佐和子の開き直りではなく(もちろんそれも含まれるが)、ボットン便所の”中身”を肥やしにしていた畑に一輪の花が咲き、お花畑のようになり、そして最後には(何故か)西瓜として”実”を結んだシーンかもしれない。

 自分がたびたび男に捨てられる理由として、”西瓜のようなおっぱいじゃないから”、と信じていた佐和子。”西瓜のようなおっぱい”は得られなかったにせよ、ここで登場する西瓜は、いずれにしても佐和子の希望のメタファーに違いない。かつて自分を悩ませていたはずの糞便を積み重ねることによって生まれた西瓜。シュールなはずの演出が、「頑張るしかない」という佐和子の一言を見事に表現・応援しているとともに、希望のメタファーであるその西瓜をさらに皆で分け合うことによって、やはり可能性ある未来を提示しているように思える。

 自分のようなダメ人間が見るとさらに心に沁みる映画だろう。石井裕也監督は当時無名にも関わらず海外の映画祭で自主制作映画の特集を組まれるほど評価されていたというが、確かにこの初めての商業映画『川の底からこんにちは』を見ると、それもむべなるかな。思わぬ拾い物だった。



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満島ひかり、遠藤雅 他

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