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 『ずっとあなたを愛してる(Il y a longtemps que je t'aime)』のYahoo!映画のレビューを読んでいたら「主人公が恵まれすぎ」という意見があった。確かに彼女は安定した職に就ける以上の知的レベルがあり美人だし姉が犯罪者であっても変わりなく愛してくれる妹がいるし、あら、気がついたら男も寄ってくるし。確かに恵まれすぎ、でもそれって結局ぜんぶ第三者の目線、第三者の評価に過ぎないのでは。たとえばいくら美人でも、いくら金持ちの人間で他人からは「羨ましい」と思われていても、心が渇いている人はいくらでもいるんじゃないだろうか。たとえば他人の目から見たら「その程度のコンプレックスで悩むな」と思われても、本人にとっては宇宙大の悩みであることもあるんじゃないだろうか。それと同じで、結局のところ、境遇や環境、自分の価値観を物差しにすることは必ずしも正しいとはいえないのだと思う。恵まれた環境は確かに人を善い方向に変えるだろう。でも人の心って単純じゃない。

 本作は”再生のドラマ”と言われている。主人公の女性・ジュエリットは、後半に至れば、15年の刑期を終えて出所してきたばかりの姿――すべてを諦めているような瞳、生気をなくした表情、寒々しい映像も手伝って未だ霧の中を彷徨っているような姿―― の頃に比べるといくぶん元気になっているように見えるが、でもどうだろう、自分は最後の最後まで”再生のドラマ”とは見ていなかった。むしろ感じたのは痛々しいほどの孤独だ。

 妹やその夫など、事情を知っているごく少ない人間はもちろん彼女の空白の期間については触れない。ジュリエットも話そうとはしない。誰にも救いも苦しみも訴えない。なぜ重罪を犯してしまったのかは家族である妹ですら知らず、姉の本当の気持ちは分からない。犯罪者はこの世でもっとも孤独な存在であろう、その心情をけして誰にも理解されることはないという点で。きっかけさえなければ、ジュリエットはきっと真相を墓場まで持っていくつもりだったに違いない。

 ものごとには黒と白では区切れないことがしばしばあるわけで、犯罪者を犯罪者というだけで一方的に拒絶してしまっては本当のことには触れられないだろう。しかし、だからといって話したことで自分の犯した罪がどうかなるわけでもない。事実は事実として明白に疑いようもなく記録されており、本来、釈明する余地なんてないのだから。

 最後の最後まで本作は”再生のドラマ”ではないと思っていた。しかし、最後の3秒、ジュリエットのたった一言で彼女が、表面上ではなく、これから本当の意味で再生していくのだと実感することができた。事実のさらに向こう側、真実が明らかになるラストは「ああ、やっぱりそうだったのか」と思ったが、そこから先のわずかなシークエンス、階下から名前を二度呼ばれて「Oui!」と答えるジュリエット、そして一呼吸置いたあとにこう呟く、「Je suis l?.」。私はここにいる。劇中で彼女は自分のことを存在していない女と友人に話すシーンがあったが、ラストで自分で確かめるかのように「Je suis l?」と呟いた彼女は、自分は孤独ではないということを静かに実感したのではないか。名前を呼ばれ、それに応えるという、ごくごくシンプルなやり取り。でも自分はそのわずか数秒のシーンに、この上なく心を揺さぶられたのである。これは、日本語訳ではなく、「Je suis l?」というフランス語として理解できたせいもあるかもしれない。フランス語をかじっといて良かったなと久しぶりに感じた。
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