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 片手で軽く押せば倒れてしまいそうなその棒切れのような痩せた細い体で心の叫びを搾り出すように懸命に歌を唄っているその女性はCocco。沖縄県出身、31歳、シンガーソングライター。一途で繊細。感受性が鋭い人はたくさんいても、彼女のように剥き出しの感性のままでは、いまの世の中どんなに生きにくいだろうか。私たちは、いや、少なくとも自分は、心を苛めるあらゆる外敵から身を守る術を知っている。心がこれ以上傷つかないよう、それを覆うための”殻”が自動生成されるのである。忘却という名の外壁。秋葉原の駅を通るたびに思い出していたあの事件のことも、今ではすっかり忘れてしまっていた。

 Coccoはすべて自分で引き受けようとする。そこが痛々しく、物悲しい。彼女の性質に起因するものだろう、リストカットや拒食症を経験した彼女の精神衛生状態は必ずしも良いとは言えないが、祈りにも似た歌の数々は、聴く者たちのみならず、おそらく彼女自身も救っているのだと思う。巫女のようでありながらもどこか危うさが潜んでいるCocco。「大丈夫であるように」とはCoccoがMCの際に語ったことばのひとつであるが、これはむしろ是枝監督がCoccoに向けたメッセージなのではないのか。

 ハッピーエンドはすなわち思考停止、と考えていた時期が自分にあったからだろう、後半、『もののけ姫』のことを語るくだりで「バッドエンドであれば良かった」とCoccoが話す姿に大きな共感を覚えた。ハッピーエンドなら「良かったね」で終わり、そこから何の発展も建設的意見も出てこない。しかしながらバッドエンドならば人々は「では、どうすればよかった?」など、考える余地が生まれるのである。そちらのほうがよほど有意義ではないか?

 それでもCoccoは自分の子どもと一緒に『もののけ姫』を見たとき、「どうか花が咲きますように」とハッピーエンドで終わることを期待した。「この子に訪れる未来が明るいものでありますように」との祈りを込めて。きれいに咲いた花は、取りも直さず生命力の象徴である。そう、大人たちは、未来は暗い、先は無いと、そんなことを子どもたちに思わせては決してならないのだと、そう話すCoccoの心の声が聞こえてきそうな気がした。いまの世の中に子どもを産むこと自体がそもそも残酷と言われているが、冗談じゃない、とも。頭でっかちになって自己完結で終始するのではなく、こんな世の中でも明るく生きられそうな環境を、たとえミクロの範囲であっても模索していくべきではないのだろうか。言うまでも無くそれは大人の責任であり仕事であると、自らの行為を振り返り反省した。


 監督が少しも前に出ることなく撮影の対象に迫り、本音を引き出せていたように思える。手ぶれは酷いが編集は堅牢。自分のようにCoccoをそれほど知らなくとも、何か感じるところがあるだろう。


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