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『コクリコ坂から』談義



A「ジブリはここ10年間は2年に1本のペースで作品を発表してきましたが、今回は間隔を置かず制作しました。『借りぐらしのアリエッティ』以来1年ぶりとなる新作が『コクリコ坂から』です。」

B「監督は『ゲド戦記』でジブリの看板に泥を塗った宮崎ゴローだね。七光りの木偶に再びタクトを握らせるとは、ジブリも懐が深い。」

A「のっけからなかなか手厳しいことを言いますね。まぁ『コクリコ坂』は『アリエッティ』同様若手育成のための企画と聞きますし、これから先のジブリを担う人材を育てるためにも、一度の失敗では見捨てられないでしょう。もっとも、『紅の豚』あるいは『カリオストロの城』を失敗作のように語る宮崎駿氏と、本当の失敗作を生産してしまったゴロー氏とでは、すでに器が違いすぎますが。」

B「きみもなかなか手厳しいね。」

A「『コクリコ坂から』、ご覧になられてどうでした?」

B「うん、悪くなかった。『耳をすませば』『海がきこえる』の系譜に連なる青春譚だね。さっきはつい木偶とか言っちゃったけど、ゴロー監督、数ある制約の中で頑張ったと思うよ。」

A「へぇ。ゴロー氏、汚名返上ですか。」

B「うん、ゴローから吾朗に昇格だよ。まぁ脚本に宮崎駿が関わっているからね。その意味では吾朗監督の真価が問われるのは宮崎駿が完全に手を引いてからになるだろうね。」

A「『コクリコ坂から』は東京オリンピックの前年である1963年の横浜が舞台です。これは私の悪い癖なんですが、舞台設定がこうも旧いと、懐古趣味的な面が強調されて興を削がないか心配になるのですが。世代がずいぶん違いますし。」

B「特段そういうことは感じなかったな。確かにガリ版とか学生運動とかかまどで炊くご飯とか、いまの団塊世代が懐かしく感じそうなネタはあるけれど、むしろ目新しいものを楽しむぐらいの余裕はあったよ。でも子どもたちが見て喜ぶような映画ではないね。」

A「ポニョやハウルのようなマスコット的なキャラクターはいませんしね。」

B「今回のような地に足のついた作劇だとそういったものは当然ノイズになるから、ユニークなキャラクターはいらない。」

A「ジブリ作品といえば家族で楽しめる映画が多いですが、少なくとも今回はファミリー向けではないようで。」

B「設定にピンときた団塊世代か、『耳すま』のような話に期待した層じゃないと、肩透かしを食らってしまうかもね。」

A「冒頭で『耳すま』の系譜に連なるとおっしゃいましたが、キュンキュンしますか?」

B「別にキュンキュンはしなかった。これでキュンキュンできる人がいたら、その人、恋愛に対しての沸点がよほど低いと見るね。」

A「あなたは常にゼロか100ですけどね。」

B「そういうことを言うもんじゃないよ、君ィ。」

A「テーマが”人を恋うる気持ち”とあったので、キュンキュン間違いないと勝手に想像していましたが。」

B「たぶん”恋する”と”恋うる”ってのは似て非なるものなんじゃないかな。今回面白いと思ったのは、恋愛が主人公の海と俊のあいだで完結しないことかな。映画が描く恋愛ってだいたい”君”と”ぼく”の二人称が多いでしょ?ところが『コクリコ坂から』ではそうじゃない。芽生え始めた恋愛感情に、出生の秘密が絡んで二人を複雑な気持ちにさせるんだけど、そこからもう一つ二つ展開がある。やっぱりここが見所かな。人をキュンキュンさせたり感動させたりしたいがために、喚いたり泣き叫んだりしてそういった気持ちを伝えようとする作品がたまにあるけど、まぁそういうのも嫌いじゃないんだけどさ、”恋うる気持ち”ってのはこれぐらい抑制されていていい。微妙な機微を捉えられるならなお楽しめると思う。」

A「そうですか。ある程度の評価は得られそうですね。」

B「まぁ”直近のジブリ作品と比べれば”という但し書きはつくけど。ジブリの青春譚では自分は『海がきこえる』がいちばん好きだけど、やっぱり冒険活劇こそジブリの真髄だと思うよ、うん。次回作あたりでやってくれないかなァ。丸々2年かけて120分の大作をさ。」

A「他になにかあれば言ってください。」

B「海の声をやった長澤まさみはザル。特に冒頭は抑揚がなさすぎて酷かった。そろそろジブリもプロの俳優を使ってほしいよね。」

A「ありがとうございました。」


採点
★★★☆☆
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 知っている人は知っている、知らない人は全然知らないと思われるアニメーション監督の新海誠は、細井守(『時をかける少女』『サマーウォーズ』)、原恵一(『カラフル』『河童のクゥと夏休み』)と並んでこれからの日本のアニメーション映画を支えていく最重要人物だろうと個人的には思っており、今回の新作『星を追う子ども』にも当然の如く大きな期待を持って見た。見たのだが、新海誠監督のファンは、自分を含め、この映画の取り扱いにいささか複雑な思いを抱くのではないだろうか。

 『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』で少年少女の淡い恋愛を描き、自分のなかに存在している青春時代の残滓を掬い取って見る者の胸を打ってきた監督だが、『星を追う子ども』ではそれまでの作風とは異なって、死者の再生を求めてアガルタという地下世界へ潜っていくジュブナイル・アニメーションに仕上がっている。演出方法は違えど、”喪失からの再生”というテーマはこれまでの作品と一貫しておりその点は安心したのだが、やはり「スタジオジブリだよなぁ…」という感想はこの映画を語るうえにおいて避けて通れない問題だ。

 『星を追う子ども』というタイトルでありながらどんどんと地下へ潜っていく点はタイトルを含め示唆に富んでいて面白い。少年と少女の邂逅と別離までのその過程が大幅に省略されている点も興味深く(これはジブリにはない着想だ)、主人公の少女アスナにさしたる動機がないのも今風で(ヤマカンのTVアニメーション『フラクタル』もそうだったか)、背景や空などの色彩設計は当代随一のクオリティなのだが、時間が進行するほど既視感が増して物語に入り込めなくなるという皮肉はどうすればいいのだろう。

 いつかみたはずの”ジブリ”を思い出し、わくわくし、全体的には面白く見られた、けれども、心から楽しむことを、なにかが阻んでいる。なにかというのは、言うまでも無く数々のジブリ的なアイコンである。”ジブリ”と思われるのは監督は百も承知のはずだが、観客が突っ込むヒマを与えないのが良い映画の条件であると思っている自分にとって、それらはあまり歓迎できない映画設計だと言わざるを得ない。「一般人でも面白く見られる王道の作品を」というのが本作のコンセプトであろう。しかし、王道は簡単なようで難しいと改めて実感した。壮大な物語を破綻することなく2時間の映画にまとめた手腕は評価すべきだが、残念ながらこの映画にチャレンジやらオリジナリティを感じることはできなかった。次はオリジナルではなく原作付きのアニメーション映画を見てみたい。



 日本のアニメ業界の衰退に歯止めをかけるためにも若手の才能を伸ばす機会を作ろうという構想のもと立ち上げられた「若手アニメーター育成プロジェクト」。そのプロジェクトの成果を示す”お披露目会”として参加した4作品が3月5日~11日までの期間限定で上映されるが、若い才能に目がない自分は矢も盾もたまらず劇場まで足を運んだ。ホンネを言うなら「もっと実験的な作品があってもよかったかな・・・」とは感じたけれども、概ね満足。なかでも滝口禎一監督の『おぢいさんのランプ』は出色の出来栄えだろう。
 
 文明開化時代ランプ売りとして身を立てる青年の成長を描いた『おぢいさんのランプ』は、30分という短い時間でありながら起承転結にメリハリを利かせたドラマツルギーの好例であるが、いい映画の影にいい原作あり、本作は新美南吉作の同名児童文学が基になっている。

 児童文学らしく、wikipediaの”あらすじ”で物語の全容が語られているほど短いお話ではある。しかし、当時の風俗、四季折々の色に染まる風景、そして何よりも、ランプが発する熱のあたたかさが作品に彩りを与え、アニメーション的な要素は薄いものの、実に滋味あふれる映像作品に仕上がったのではないかと思う。

 特に印象深く感じたのは、かつて「村を明かりでいっぱいにするんだ」と目を輝かせながら語った少年が、ランプ売りの立派な青年となってその夢を果たしたはずなのに、電気の登場によって自己の利権が奪われそうになると手のひらを返し、他人に嘘を吹き込もうとさえしたシーンだ。現実を生きるために必死なこの人間臭さがいいし、そしてさらに自分が発した一言による”気持ちの矛盾”にも人間臭さがあふれていて実にいい。シンプルに生きるのは存外難しい。

 約130年前の日本が舞台であっても、抱えるテーマには普遍性がある点が、やはりこの作品の長所だろう。新たな技術が誰かの仕事を奪う、という構図。乱暴な言い方だが、ともすればあのランプ屋は今日の全ての職業に置き換えられることができるかもしれない。なんといっても、日々何かがアップデートされ、古いものは駆逐されてしまうのが世の常なのである。仕事の未来は人生の未来。いまに安住せず、過去と訣別し、閉塞感を打破するだけの勇気を与えてくれるような作品だ。

 『おぢいさんのランプ』はMBSで3月12日(土)26:58~放映。その他作品も放映予定あり。この機会にぜひ。



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